Top >  稲作 >  減反政策

減反政策

スポンサードリンク

太平洋戦争中から数十年間は日本の米はすべて政府が扱っていました。
これを食糧管理制度と言います。

太平洋戦争中にできた食糧管理法に基づいて
戦争中は米を国民に効率よく分配するために、
戦後は米の生産を増やすために
政府はこの制度を利用してきました。

敗戦後は食料が足りなかったわけですから、
政府は農家に食料をたくさん作って欲しいと思ったのですね。
そして日本人の食料といえば第一に米です。
だから政府は、農家から米を高く買ってあげることにしました。
そうすれば農家の人は自分でお客さんを探さなくても、
お米さえ作れば政府がたかっく買ってくれるので楽ですね。
ということで政府の考えたとおり、米の生産は増加したのでした。

めでたしめでたし・・・はならないのが現実の世の中です。

日本人の食生活が洋風化した、というのをお話しましたね。
米の消費量が減ってきました。
ちょっと前まで足りないと言っていたのに、今度は米があまるようになったんです。
売れ残りですね。余った米を「古米(こまい)」といいます。
古米は政府の倉庫にたまっていきます。
政府はただでさえ米を高く買って安く消費者に売っていたんですが。
その上、売れ残った米が倉庫にたまっていくと政府の負担はどんどん大きくなります。
売れ残ること自体政府の赤字ですし、倉庫で米を管理しておく費用もかかります。

それで政府は古米を減らすために、
まず1969年に自主流通米の制度を作ります。
一部の高級なお米(コシヒカリ、ササニシキなど)に限って、
政府の手を通さずに売ってよろしいと決めます。
しかしこれは農家が自由に米を売っていいということではなく、
米を扱う業者は政府によって決められていました。

さらに翌年の1970年には、政府は減反政策に踏み切ります。
米の生産を政府の指示で調整しようとしたわけですね。社会主義的な政策です。
減反の方法には2つありました。

・休耕・・・水田に何も作らないようにする
・転作・・・米以外の作物を作るようにする

休耕の方は何も作らなくても政府から奨励金(しょうれいきん)がもらえました。
さすがにこれは無駄だし、田んぼも荒れてしまうので3年で取りやめになりました。

転作の方はこの後、長く続きます。現在でもやっているんですよ。

スポンサードリンク

 <  前の記事 土地改良  |  トップページ  |  次の記事 稲作の手順3月~5月  >