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怒らないこと

テーラワーダ仏教の長老、アルボムッレ・スマナサーラさんの本を買いました。
「怒らないこと」(サンガ新書)です。

まーなんというか、
もともと穏和な性格の人はこういう本には行き着かないと思います。必要ないから。
私は必要としていたからこういう本とめぐり合うことができたんです。

さて、「怒らないこと」ですが、
釈尊は、「怒り」など人間にとってまったく必要でない、と仰っているそうです。
必要ないどころか怒りは毒であると。
「スッタニパータ」という、釈尊の言葉を集めたお経の最初に
怒りについて出てきますので、釈尊もこのことを重視していたのだと思います。

しかし私のような凡夫は、「時には怒ることも大事なんじゃないの?」と
思ってしまうわけです。正当な怒りというものがあるだろうと。
それでも釈尊は怒りなど一切必要ないと仰る。

正当な怒りがあると前提してしまうとどうなるか考えてみました。。

まず怒る前の話。
なにか不愉快なことが起こるたびに「ここは怒っていいのか?」と考えることになります。
これはいちいち鬱陶しい精神的な作業ですね。

思わず怒り爆発してしまった時の話。
多くの場合は自分の正当化を必死で考えますよね。自分の怒りは正しいんだと。
でも冷静さを失った頭で自己正当化をしますので
その根拠たるやとても信頼に足るものとはいえない。
これで「正当な怒り」なんていえるのか。

怒った後の話。
やっぱり自分が正しい理由をいろいろ考えて、
「ほらみろ自分の方が正しいじゃないか」とい考えが頭の中で繰り返されます。
しつこい人はこれが長きに渡って続く。
他でもないこれは、正当化作業によって、自分で怒りを増幅していることになります。
そして何を好き好んでかこんな不愉快な精神状態を自分で引き伸ばしているという。

怒りの全過程を考えてみますと、なんとも無駄な作業に思えてきました。
エネルギーの無駄であると。
無駄どころか、怒りが蓄積されれば精神が傷ついていきます。
もちろん精神だけでなくそのストレスによって肉体的な病のもとにもなる。
さらに怒りで理性を失って他人を傷つけることだってある。

と、まったくろくでもないですね。

やっぱり釈尊は正しいわけです。

それにしても私、つまらないことですぐイライラしたりしていましたので
これを改善するのは大変なのですけど、
まあ、習慣の問題みたいですね。

正当な怒りがあると考えている状態では、自分に怒りを許すことになって
やがてこれが習慣化してしまう。
つまらないことですぐ怒るようになります。
逆に、怒りの一切を否定して自分のこころを監視するようにすれば、
ちょっとずつ怒る機会は減りまして、つまらないことでイライラしなくなります。

それでどっちが気分がいいかといいますと、後者のほうが圧倒的によろしい。
というか比べ物にならない。