February 23, 2007
原罪
聖書はあまり勉強したことがなかったので、
パワーフォーリビングを読んであらためて勉強になりました。
しかし私には理解しがたい部分もありました。
何が理解しがたいかと言いますと、
「罪」
です。
人間が神から離れ、自分自身で考えて判断して生きるようになったことが
罪だといわれます。
そしてイエス・キリストは人類全体の罪を償うために
十字架にかけられました。
しかし自分で考えて生きることが罪と言われても理解しがたいのです。
スピリチュアリズムでも仏教でも、基本は「自業自得」ですからね。
うーむ。
考えてみました。
「神から離れて生きる」というのは
この世を超える存在のことを否定して生きることかもしれません。
つまり存在するのはこの世だけという世界観です。
この考え方によれば、大多数の人にとってこの世は苦しみの方が圧倒的に多い世界ですし、
いかにこの世でうまく生きることができてもたかだか100年前後で死にます。
絶対的な絶望が待っているだけです。
この絶望は「髪から離れて生きる」人間が受け続けている罰と考えることもできます。
キリスト教で言う「罪」とは
この罰からさかのぼって設定されたものかもしれません。
この苦しみは罰に違いなく、罰があるからには罪もあるに違いないというわけです。
「信ずるものは救われる」
というのは、この世を超える存在を受け入れるなら、
この世に存在する多くの苦しみについてずっと説明しやすくなり、
それをのりこえて生きる力(パワーフォーリビング)を得ることもできる
ということなのでしょう。
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